映画好きなので、映画の感想も書いていきます!ネタバレしまくってるので、注意して下さい!
「天気の子」感想 雨止んで欲しかった人いる?
1.友人の感想は、雨が止んで欲しかった
先日、ようやく映画「天気の子」を見に行く事ができました!
公開されてすぐの頃に、友人が見に行っていたので、感想をあらかじめ聞いていたので、なんとなく話は知っていたのですが、それでも「君の名は」が良かったので、是非見に行きたかったのです!
その友人の感想はと言うと・・何やら難しそうな顔をして・・「結末がなあ・・結局、雨が止まんかった・・それが納得いかん・・」でした。とまあ、僕はそうゆう事で結末を知らされて映画を見に行ったのですが・・(笑)
2.「崖の上のポニョ」と「天気の子」
「天気の子」は、もう結論から申しあげますと、雨は止まずに東京は水に沈んでしまうのですね。それでも、主人公たちの恋愛は、成就します。それでハッピーエンド?のような感じで終わります。
街が水没してしまう系の物語でアニメと言えば、ジブリの「崖の上のポニョ」があります。「天気の子」とは対照的に、水は街から引き、世界の危機は救われ、ポニョと主人公の男児も仲良くハッピーエンドをむかえます。
友人は、ポニョのような結末を期待していたようです。
3.「天気の子」主人公達の微妙な設定
「天気の子」の主人公、森嶋 帆高(もりしま ほだか)は、故郷の島から家出をして東京へ来ますが、その詳細な理由は語られません。ヒロインの 天野 陽菜(あまの ひな)も、母親を無くす以外の複雑な家庭の設定は語られません。あくまで、家庭の細かい事情は、この映画の焦点ではないという作り手のメッセージだと思います。
しかし、どこか現実社会になじめない、孤独を抱えた若者達という設定は必要という事ですね。
4.異常気象の物語を、なぜオカルト設定に?
序盤、今年の東京は異常気象で雨続きだという設定でした。ところが、急にオカルト雑誌の「ムー」が登場し、この雨続きは徐々に「異常気象」から「超常現象」であるという設定に変わってきます。積乱雲の中には、別の生態系が存在するという説まで、出てきます。
ところがです。この「超常現象」を、たいして説明することなく映画が終わってしまうのです。この点も、友人の不満ポイントでした。
オカルト設定にするなら、それはそれで、東京の雨の原因をオカルト的に、しっかり説明しても良いはずなのに、はぐらかされたような気分になるのです。
ここからは、僕の勝手な妄想ですが・・・本来なら異常気象を地球温暖化問題とからめて、社会問題的に映画を作っても良かったのだが、そうすると、CO2をたくさん出している業界と角が立ってしまうので、それはできなかった。まあ、スポンサーとか契約とか、大人の事情で・・(笑)
しかし、オカルト設定にしてしまえば、どこの関係者とも角を立てなくて済むし、雑誌の「ムー」にも喜んでもらえます。
「オカルト設定」はとても便利な設定なのです。でも、伝えたい事は別にあるので、あえて、オカルト設定は、しつこく追及はせずに、はぐらかしたのではないか?
(つまり、本当は、異常気象、地球温暖化問題として伝えたかった・・?)
5.陽菜の人柱設定の理不尽さ
陽菜は天気の巫女であり、天気を操るとその代償として犠牲になる必要があるという設定になってきます。主人公、帆高は最終的に、ヒロインの陽菜を犠牲にして世界を救う(東京の雨を止める)か、陽菜を救って世界を諦める(東京が水没する)か、を選ぶ事になります。
古い時代に、洪水が起こる川に人柱として、人間を川に捧げると洪水がおさまるという理不尽な昔話を聞いた事ありますが、設定としては同じですね。
どうして、子供も見るアニメなのに、ポニョのような完全解決をめざす映画にしなかったのでしょう?
「天気の子」を地球温暖化問題として考えた場合、今の経済状況を維持して、エネルギー問題も解決もせずに、異常気象がなくなるなんて言う都合の良い結末がありえないから?
異常気象をなくすためには、代償(人柱)がいる?
異常気象をなくす=CO2を減らすと考えると、「CO2を減らすには、代償がいる」となります。
その代償って?
6.だから、雨は止まない
僕の妄想は、続きます。
CO2を減らすには、エネルギー問題解決に原発推進しかない?原発が増えると、処分に困る放射性のゴミが出ます。代償とは、次の世代の人たちが放射性のゴミを我慢する事なのだろうか・・。
映画の結末では、帆高は陽菜を助けて、雨は止みません。現実社会にどこかなじめない孤独をかかえた少年少女は、地球温暖化の影響を強く受ける次の世代の人達をさしているなら・・。その世代の人達を人柱とするのも、理不尽な話ですよね。だから雨は止まず、東京は水没する。
つまり、原発推進(代償)はせずに、異常気象はおさまらないという結末になったという事・・。「天気の子」は脱原発映画だったの?
ラストシーン、帆高と陽菜が再開するシーンでは、もう陽菜は巫女的な役割を持っていないはずなのに、少し晴れてきます。水没した東京に、まだ希望があるような描写だと思いました。(クリーンエネルギーの登場?)
7.考えすぎ
まあ・・考えすぎかな?
実際のところ、単純に不思議な恋愛映画として楽しみました(笑)
この映画の光の描写は、すごい綺麗で感動しますよ!是非、映画館で!